尼崎構造見学会と村野藤吾建築めぐり

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今週末尼崎市にて構造見学会を予定しています。今回の見学会現場の近所には20世紀の日本を代表した建築家、村野藤吾氏の建築が2件あります。

一つは尼崎市庁舎。たくさんの建物を手掛けてきた村野藤吾氏は、代表作として建替え前のそごう心斎橋や、もうすぐ取り壊される新歌舞伎座など商業施設を中心に設計を行ってきた。そんな中でこの尼崎市庁舎は彼の作品の中でも数少ない公共施設です。
1962年に完成した鉄筋コンクリート造の建物で、今年で50周年になります。

二つ目は大庄公民館。村野藤吾が初めて設計した公共施設。1937年に完成し、構造は鉄筋コンクリート造。1930年代当時に主流になってきたモダニズム建築の流れが入った建物。この付近当時としてはとてもモダンな建物で、周りからとても目立ったようです。装飾を排除するモダニズム建築の日本を代表する村野藤吾氏ではあるが、彼の作品にはところどころモダニズム建築の様式の中にも、装飾が施されていたりする。この大庄公民館もそうで、入口にはグリフィンの装飾があったりと、彼独特の設計スタイルが見られる。

尼崎の構造見学会の現場から近くなので、見学会と合わせて建築めぐりをしてはいかがでしょうか。

2012年7月7・8日兵庫県尼崎市構造見学会の詳細はコチラから

※村野藤吾について

村野藤吾-Wikipedia
佐賀県唐津市で代々船問屋を営む家に生まれ、福岡県北九州市で育った。1910年、福岡県小倉工業学校(現小倉工業高校)機械科を卒業後、八幡製鐵所に入社。1911年から2年間にわたる従軍中、学問に興味を持ち、1913年、早稲田大学理工学部電気工学科に入学。しかし、自分には向かないと考え、1915年、同大建築学科へ転学。27歳で卒業した。
1918年、渡辺節建築事務所に入所。日本興業銀行本店、ダイビル本館、綿業会館等の設計に携わった。1929年、渡辺節建築事務所を退所し、村野建築事務所開設。日中戦争・第二次世界大戦中は実作の機会は少なく、不遇の時期を過ごした。1949年、村野・森建築事務所に改称。1955年、日本芸術院会員。1967年、文化勲章受章。日本芸術院賞、日本建築学会賞など受賞多数。

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