こんにちは!設計の山口です。
前回に引き続き、今回も社員旅行の時の内容についてです。
グラバー園を見学の後、昼食を取り軍艦島へ向かう船に乗船。
片道1時間くらいの結構遠い道のりでした。
長崎県は制限が厳しいらしく、波が高い日はすぐに船が欠航し、
年間通じて行けない日も多いそうです。
前日は白波の立つ程、海は荒れておりましたが、
奇跡的にこの日は穏やかな海でした。
ちなみに私は雨男、風男です。
外出すると雨が降り、船に乗ると爆風が吹きます。
釣りに船で行く時はいつも爆風+雨です。
曇ってはいましたが、風と雨がないだけでこの日は奇跡と言えます。
写真ではわかりませんが海は大阪と違い透明度が高く、クルージングの景色だけでも美しかったです。
軍艦島は1890年に三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されたそうです。
三菱といえばロスチャイルドと関係が深い。
ここでも繋がりを感じつつ、独特の異世界的な空間を堪能しました。
具体的な歴史などの記載は割愛させて頂きますが、
歴史について説明を受けながら見学していると
いろんな想像が浮かんできました。
↑は上陸して最初の場所の写真ですが、
人がいなくなり、かつて人々がいた場所を自然が支配した雰囲気を感じました。
ラピュタのような異世界の空気が漂っていました。
廃墟に自然の力で生み出された景色ですが
美しさを感じました。
全く違うものですが、人工物+自然の組み合わせ
新しく作る建築と自然の調和と繋がる点があります。
山や川など、自然から美学を学ぶ事がエクステリアの考え方に繋がると思います。
↑左奥の建物は
防波堤の役割をした棟らしく、
高波を建物で防ぐという衝撃的な話を聞く事ができました。
その分、この建物が一番家賃が安かったらしいですが、
嵐の日には家の中がビショビショになるそうです・・・
一番塩害を受ける建物の為、損傷も一番ひどいとか。
ちなみに炭鉱で働く人々の中で、位の高い人々程
海から離れた丘の上に住んでいたそうです。
炭鉱はへ降りるエレベーターは、現代のゆっくりと動く乗り物ではなく
フリーフォールだったそうです・・・
ディズニーシーのタワーオブテラー的な?
(私は絶叫マシンには乗れません)
炭鉱は高温多湿の暗闇で
とても過酷な環境だったそうです。
そんな軍艦島ですが、給料は相当高かったそうです。
当時テレビなど家庭にない時代に軍艦島では当たり前のように一家に一台テレビがあったそう。
仕事もエアコンの効いた明るい部屋でコーヒーを飲みながら仕事をし、
生まれてから30年以上、地元箕面から出ていない自分には
高額報酬が貰えたとしても、こういう場所に出稼ぎに行くような姿が想像つきません・・・
当時の人々の暮らしや
自然と廃墟の美しさ
空を遮るビルや木、電線など一切ない開放的な空間
そして帰りも綺麗な海を見ながら
いろんな事を考える貴重な時間を過ごすことができました。
山や川などのレジャーや街散策では味わえない
感じた事のない独特の空間を堪能する事ができました。
こちらもガイドの都合上、見学時間があっという間でしたが、
また行ってみたい場所となりました。